はやくも真打ち登場?トランペット編






盛り上がってまいりました。ステージの王様第2回は、早くも真打登場、トランペットです。

まずはじめに

まあ、こんなところで申し上げるのは、トランペット以外の楽器の奏者の方々には申し訳ないのですが、ステージの王様として最もふさわしい楽器は何と言われて、トランペットと答えない人はよほどのアマノジャクだといっても過言ではないでしょう。第1回のビオラにも「世の中に陽のあたる楽器と、陽のあたらない楽器の2種類があるとすれば」というくだりがありますが、その表現を借りればTpはもっとも陽の常にあたっている楽器といえましょう。そして、あえて申し上げるまでもございませんが、陽当たりの悪い王様なんていないのです。くり返し、ここで申し上げておきましょう。ステージの王の中の王、それはトランペットなんです。


トランペット奏者てどんなひと?

ここで、6年前、水響と縁深い一橋大学管弦楽団の演奏会のパンフレットに出ていたTpパート紹介の文章を引用してみます。

トランペットはとんでもない楽器である。
これほど喜怒哀楽あらゆる感情が表現できる楽器は他にはない。
「笑点」のラッパを思い出していただきたい。あれは笑いのラッパである。
「必殺仕事人」のテーマを思い出していただきたい。あれは怒りのラッパである。
「金曜ロードショー」のテーマを思い出していただきたい。あれは哀しみのラッパである。
例を挙げれば、枚挙にいとまがない。このように、トランペットはあまりに多くの表情を出すことができるので、この楽器を吹くものは、自然、悪魔に魂を売り渡したような多重人格にならざるをえないようである。不幸にも、我がTpパートも、私を除くメンバーはみなそうなってしまった。私はそうならないようにしたいものだ。

よく、Tp吹きの性格をあらわしていますね。また、こんなエピソードもあります。

ある楽団の練習で、指揮者が、
「やっぱり、音楽はみんなで助け合って作っていくものだよね」
みたいなことを言ったら、Tpのトップが、
「1番ラッパは誰も助けてはくれない。」
と言った。

このエピソードからは、その人格はともかく、ラッパの1番は、そのオーケストラの中での責任感、孤独感、存在感に対する自覚が伝わってきますね。また、それこそ、ステージの王様であるトランペットに求められるものといえましょう。彼らに多分にナルシストっぽい人が多いのも、こんな自覚を持つようになるのもやはりその音色のなせる技と言えましょう。


オケのトランペットはつまんない?

とは言うものの、オーケストラの中でのトランペットにその魅力の全てが聞き手に届けられるような使われ方がされてきたかというと、必ずしもそうではありません。私も、多くのオケのTp吹きと同様、中学高校とブラスバンドに籍を置き、大学からオケを始めたわけですが、演奏会に高校の時のブラスバンドの友達を呼ぶと、オケのラッパなんて目立つところがないしつまんない、といつも指摘されてしまうものでした。この指摘について少し検証してみましょう。

今でこそ、ピストンを備え半音階も歌えるようになったTpですが、その昔は、ピストンがなかった(ナチュラルトランペットと言います)ため出せる音が非常に限られていました。具体的には、軍隊ラッパを思いがけていただければよいのですが、出る音は、下からソドミソドレミファソ……(倍音列)の音しかなかったのです。音が高くなるにつれその感覚が短くなる倍音列によって音階を吹くためには、バッハのブランデンブルク協奏曲の2番のように非常に極端な高音域を連続的にTpに要求することになります。しかし、極端な高音域のTpは、音色・奏者に要求される演奏技術等を考え合わせても、決してオケの中で常に実用的なものとは言えません。したがって、ベートーベン・モーツァルトの時代のTpの用途は、ティンパニと一緒に曲にアクセントを与える役、もしくは、軍隊ラッパのファンファーレのような極めて限定的な使われ方しかされませんでした。その使われ方は、Tpのある一面を有効に生かしてはいますが、その表情の豊かさから奏者を多重人格者にしてしまうような、特に運動性に象徴される現代Tpの能力をふんだんに発揮しているものとはとうてい言えません。私は、例えばベートーベンの第九の4楽章の例の有名のメロディーの中の倍音列以外の音がそっくり抜け落ちたTpの譜面を見るにつけ、もし、彼の生きているときに現代のTpがあったらばと思うと、残念でなりません。

時は流れても、事情はあまり好転しません。楽器の発達は少しづつでも進んでいきましたが、作曲者・聞き手のTpのイメージはなかなか変わりませんでした。私は、ブラームスやドボルザークの曲は好きですが、惜しむらくは彼らのTpに対する扱いは依然としてナチュラルトランペットのそれなのです。彼らの時代にはもうTpはほぼ現在に近い機能を持ち合わせていたはずなのに……。Tpの能力をフルに生かした曲は、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、チャイコフスキー、ストラビンスキーらの登場を待たなくてはいけませんでした。


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